「家族が訪問看護を拒否している」という相談を受けることがあります。

当事者が「必要ない」「来てほしくない」と言う。でも家族としては心配で、何かしたい。

なぜ拒否するのか

  • 「自分は病気じゃない」という病識のなさ
  • 「監視されている」という妄想的な不安
  • 他人が家に来ることへの抵抗感
  • 「また何か変えられる」という警戒心

どれも「わがまま」ではなく、症状や心理的な理由があります。

家族にできること

無理に訪問看護を「押しつける」ことはできません。本人の同意が原則です。

でも、家族にできることはあります。

  • 主治医に状況を正直に話す(「家での様子」は家族しか知らない)
  • 「訪問看護が来た方がいい」ではなく「あなたのことが心配だから」と伝える
  • 焦らず、少しずつ関係を作っていく

最初は断られても、何度か話して「とりあえず一回だけ」から始まった方も多いです。訪問を断られた日のことにも書きましたが、断られても来続けることが信頼につながります。

家族自身も相談してください

本人が支援を拒否している間、家族は一人で抱えることになります。それは本当につらい。

精神保健福祉センターや家族会では、「本人が拒否している」家族の相談も受けています。家族が限界になるときも参考にしてください。

拒否する理由を聞くことから始まる

「訪問看護は必要ない」と言われたとき、まずやることは「なぜ必要ないと思っているか」を聞くことです。「病識がないから」「妄想で不信感があるから」という理由が多いですが、「以前の訪問看護師に嫌な思いをした」「プライバシーが守られない心配がある」という理由もあります。理由によって、関わり方が変わります。

Qさん(57歳)が「必要ない」と言った理由は、「前の訪問看護師が、自分のことを家族に全部話した」という不信感でした。「秘密を守ってもらえなかった」という体験が、「訪問看護師は信用できない」になっていた。「今回は違います」と言っても信じてもらえないのは当然です。最初の数ヶ月は「少しだけ」の関わりから始めて、「話した内容をどこまで伝えるか、事前に確認する」という約束を繰り返しながら、信頼を積み上げていきました。

「必要ない」という言葉の背後に、「どう関わるか」のヒントがあります。否定せずに理由を聞く、その理由に応じた関わり方を考える——それが、拒否への最初の対応です。

家族が「どうすればいいか」という問いに答えるには

家族から「本人が拒否していてどうすればいいか」という相談を受けるとき、私は「家族ができることには限界がある」という現実もお伝えします。本人が拒否している訪問看護を、家族が無理に受け入れさせることはできない。強制することは、関係を壊してかえって状況を悪化させることがあります。

家族ができることは、「良いタイミングを作ること」です。本人が「少し調子が悪い」と感じているとき、「相談できる人がいれば」と思う瞬間がある。そのときに「こういう人が来てくれることがある、会ってみる?」という提案ができるように、「訪問看護という選択肢があること」を穏やかに伝えておく。強制ではなく「提案として置いておく」ことが、いつか実を結ぶことがあります。

Sさんの家族が「やっと本人が会ってくれた」と連絡してきたのは、最初の相談から8ヶ月後でした。「体調が悪い日が続いて、本人から『一回だけ来てもらっていい?』と言い出した」と。そこから訪問が始まりました。「一回だけ」から始まることがある。焦らず、選択肢を置いておくことの大切さを、Sさんのケースが教えてくれました。

拒否が「変化のサイン」になることがある

「来ないでほしい」という言葉が出てくることが、状態悪化のサインになることがあります。「いつもは来てもいいと言っているのに、今週は強く拒否した」という変化は、「何か起きているかもしれない」というシグナルになります。

Tさん(49歳)が「もう来なくていい」と連絡してきたとき、私は「状態が悪化しているかもしれない」という直感がありました。「引いていい状態かどうか」を判断するために、翌日電話しました。電話には出なかった。家族に連絡したところ、「数日前から部屋から出てこない」という情報がありました。主治医に報告して、緊急受診につながりました。

「拒否=断る」と文字通りに受け取るのではなく、「なぜ今断っているか」を読むことが大切です。「引いていい断り」と「引いてはいけない断り」の違いを見極めることが、精神科訪問看護師の専門性のひとつです。

Qさんに「必要ない」と言われた日

Qさん、57歳。統合失調症の診断で入院歴が三回あり、退院後の支援として私が訪問に入るようになりました。最初の訪問から、Qさんははっきりと言いました。「訪問看護は必要ない。自分で管理できる」。

否定はしませんでした。確かに、Qさんは薬も自分できちんと管理していました。生活も整っていて、部屋は清潔で、食事もとれていた。表面だけ見れば「必要ない」と言われても仕方ない状態でした。

それでも主治医の先生は訪問看護の指示を出していました。私は毎週来ることを続けました。「今日で最後にしてほしい」と言われた週も、「来てもらっても意味がない」と言われた月も、ただ来続けました。

転機は四ヶ月目でした。Qさんが夜中に幻声が強くなり、眠れない夜が続いていた。その状態を私に話してくれたのは、訪問を続けていたからだと思います。「実は最近、声が聞こえることがあって」——その一言を聞けたことで、早めに主治医に情報を上げることができました。入院は回避できました。

Sさんの「必要ない」の意味

Sさんは40代後半、うつ病で休職中の方でした。夫の勧めで訪問看護を始めましたが、本人は「夫に言われたから来てもらっているだけ」とはっきり言いました。「私は訪問看護なんて必要ないと思っています」と。

Sさんの「必要ない」には、うつ特有の思考が絡んでいると感じました。「私は助けてもらうほどの価値がない」という気持ちが、「必要ない」という言葉になっていた。だから私は「そうですか、でも来週も来てもいいですか」と毎回聞きました。Sさんは毎回「まあ……いいですよ」と言いました。

ある日、Sさんが泣きながら話してくれました。「自分がいなくなったほうがいいと思う日があります」。その言葉を受け取れたのは、来続けていたからです。「必要ない」と言われても続けることが、訪問看護の仕事のひとつだと、Sさんが教えてくれました。

Tさんの「一度だけ試してみる」

Tさん、49歳。強迫性障害と社交不安が強く、人が家に入ってくることへの恐怖が大きい方でした。最初は玄関先での五分間のみ。「中には入れない」とはっきり言われました。

それでも構いませんでした。玄関先で五分間話すことを三ヶ月続けました。「今日は体調どうですか」「薬は飲めていますか」「何か困っていることはありますか」。短い会話でも、毎週続けることに意味があります。

四ヶ月目に、Tさんが言いました。「一度だけ、中に入ってもいいです」。その言葉を聞いたとき、私は慎重に動きました。「ありがとうございます。では短い時間だけ」と言って、玄関を入った。リビングには座らず、玄関の近くで話して、すぐに出ました。次の週も「今日は入っていいですよ」と言ってもらいました。

「訪問看護は必要ない」という言葉の裏には、様々な気持ちがあります。拒絶、不信、恐怖、自己否定。その言葉を額面通りに受け取って来るのをやめることは簡単です。でも来続けることが、ときに命を守ります。Qさん、Sさん、Tさん——三人の経験がそれを私に証明してくれました。

来週も、「必要ない」と言われる可能性のある玄関を、私はノックしに行きます。それがこの仕事だと思っています。

「来ないでほしい」の裏側にあるもの

「訪問看護は必要ない」と言われる背景には、様々な心理があります。自分の弱さを見せたくない、助けを求めることへの抵抗、人を家に入れることへの不安——表面に出てくる言葉だけが理由ではありません。

Qさんの「必要ない」は、「また入院させられるかもしれない」という恐怖からきていました。Sさんの「必要ない」は、自己否定と「私には価値がない」という感覚からきていた。Tさんの「必要ない」は、人が家に入ることへの純粋な恐怖でした。三人とも「必要ない」と言いましたが、その意味はまったく違っていました。

だから「必要ない」と言われたとき、私は「なぜそう感じているのか」を考えます。来るのをやめることが正解なのか、来続けることが正解なのか——答えは一つではありません。でも多くの場合、来続けることが利用者さんの安全を守ってきた経験があります。

関係を作ることが先にある

「必要ない」と言う方の多くは、「あなた(看護師)が必要ない」ではなく「今の自分には何かを受け取る準備ができていない」という状態にあります。準備ができていない人に対して、無理やり関わろうとしても逆効果になる。でも、静かに来続けることで、準備が整ったときに受け取れる関係ができていく。

Tさんが玄関に入れてくれた日のことを、私はよく思い出します。「一度だけ」という言葉のためらいと、それでも試してみようという勇気。その勇気を引き出したのは、私が来続けた三ヶ月間でした。関係を作ることが先にある。看護の内容は、その後についてくる。

来週も「必要ない」と言われる可能性のある玄関がいくつかあります。それでも行きます。来続けることが、ときに命を守ります。Qさん、Sさん、Tさんの三人が、そのことを私に繰り返し教えてくれています。

断られても来ることを支える「根拠」

「必要ない」と言われても来続けることには、精神科訪問看護の専門的な根拠があります。精神疾患の多くは、病識(自分が病気であるという認識)が低下することがあります。症状が強い時ほど「自分は大丈夫」と感じやすい。だから「必要ない」という言葉は、必ずしも本人の真の意思ではないことがある。

また、精神科領域では「治療同盟」という概念が重要視されています。治療者と利用者の間に信頼関係(同盟)があることで、治療の効果が高まることが研究でも示されています。来続けることは、その同盟を作るための根本的な行為です。

Qさんが「来なくていい」と言った四ヶ月間、私は主治医と連絡を取りながら来続けました。「本人が拒否している」という状況でも、主治医の指示があり、家族の同意があり、本人の安全に関わる懸念があれば、来続けることは職業的な判断として正当化されます。それが後にQさんの入院回避につながりました。

「必要ない」という言葉の前で立ち止まることなく、来続けることを選んできた経験が、私の訪問看護師としての骨格を作っています。今日もその骨格を持って、玄関を叩きに行きます。

訪問看護の「続ける」という行為は、利用者さんへのメッセージでもあります。「あなたのことを諦めていない」「あなたの存在を気にかけている」という無言のメッセージを、毎週の訪問が送り続けます。言葉にしなくても、来続けることが伝えます。Qさん、Sさん、Tさんの三人は、そのことを私に教えてくれました。来週も行きます。その次の週も行きます。それがこの仕事です。

「必要ない」という言葉の向こうに、必要としている人がいる。そのことを信じて、今日も玄関を叩きに行きます。

「必要ない」という言葉の重さを、私は毎回受け止めます。そしてそれでも来る理由を、自分の中で確認します。Qさんの四ヶ月が、Sさんの涙が、Tさんの「一度だけ」が、私を動かし続けています。玄関を叩く手が止まる日は来ない。来続けることが、この仕事の答えだと知っているから。

今週も、何人かの玄関を叩きます。全員が「どうぞ」と言ってくれるとは限りません。それでも行きます。

「必要ない」という言葉の重さを、私は毎回受け止めます。そしてそれでも来る理由を、自分の中で確認します。Qさんの四ヶ月が、Sさんの涙が、Tさんの「一度だけ」が、私を動かし続けています。玄関を叩く手が止まる日は来ない。来続けることが、この仕事の答えだと知っているから。

今週も、何人かの玄関を叩きます。全員が「どうぞ」と言ってくれるとは限りません。それでも行きます。


坂本なつ(精神科訪問看護師・12年)

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