「親じゃなくて、きょうだいなんですが」と電話が来たことがあります。
精神疾患の家族というと、親や配偶者のことが話題になりやすいですが、きょうだいもまた、独特の立場にいます。
「自分が頑張らないと」という重さ
Pさんのお姉さんは、弟の訪問看護の話が出たとき「私がいれば必要ないですよ」と言いました。
毎週末、電車で片道1時間かけて弟の家に来て、掃除をして、薬を確認して、買い物をして帰る。それを3年続けていた。
「私がしっかりしないと」という言葉の裏に、「私がやらなければ誰もやらない」という孤独が見えました。
きょうだいが抱えやすいもの
- 「なんで自分だけ」という不公平感
- 親に「あなたがしっかり支えて」と言われる重圧
- 自分の生活・仕事・家族を犠牲にしているという感覚
- 「このまま一生続くのか」という見通しのなさ
「あなたも限界になっていい」
Pさんのお姉さんに、「あなたも限界になっていいんですよ」と伝えました。
訪問看護が入ることで、毎週末の訪問を隔週にできるかもしれない。全部背負わなくていい。
家族全体への支援については家族が限界になるときに、子どもへの影響については精神疾患の親を持つ子どもたちにも書いています。
Pさんのお姉さんが「私がいればいい」と言った理由
Pさんのお姉さんが「私がいれば訪問看護は必要ない」と言ったとき、私は「この方もとても大変な状況にいる」と感じました。弟の10年間を一人で支えてきた。外の支援を入れることが「自分が役に立っていないこと」になるような感覚があったのかもしれない。
「お姉さんが頑張ってきたことは、誰も否定できません」と伝えました。「でも、一人で支えることには限界があります。私たちが入ることで、お姉さんが少し楽になれれば、弟さんのためにもなります」という話をしたとき、お姉さんはしばらく黙っていました。「私が楽になっていいのか」という迷いが見えた。
「支える人が楽になることは、支えられる人のためにもなる」——この認識を、精神疾患のある方の家族に伝え続けています。「自分を犠牲にすることが愛情だ」という考えは、長期的には支えられる人をも追い詰めます。きょうだいが倒れないためにも、外の支援が必要です。
「なぜ自分だけが背負っているのか」という問い
精神疾患のある方のきょうだいには、「なぜ自分だけが背負っているのか」という気持ちが生まれやすい。親は高齢で動けない、他のきょうだいは「遠くにいる」「仕事が忙しい」という理由で関わってこない——その中で一人が全部引き受けることになっている構造があります。
Wさんのお姉さんは、「妹が発症してから、自分は結婚を諦めた。友達とも疎遠になった。仕事も転職して妹の近くに引っ越した」と話してくれました。「妹のために自分の人生を変えた」という事実があります。「後悔はないけど、自分の人生はどこに行ったのかなと思うときがある」と言った。その言葉が、静かにずっしりとしていました。
「きょうだいも、自分の人生を生きていい」という言葉を、かけたいと思うことがあります。でも、簡単に言えない。Wさんのお姉さんの「自分の人生はどこへ」という問いへの答えを、私は持っていない。ただ「その問いを持っていることを知っている」と伝えることが、今の私にできることです。
きょうだい支援のリソース
精神疾患のある方のきょうだいのための支援は、まだ少ないですが、少しずつ増えています。家族会では、「きょうだいの会」として集まれる場所がある地域もあります。同じ立場の人と話せることが、「自分だけじゃない」という安心につながります。
Pさんのお姉さんは、家族会に参加し始めてから「少し楽になった」と言っていました。「同じようなきょうだいを持つ人がいて、みんな同じことを考えていた。それがわかっただけで、軽くなった」と。「共感できる場所を見つけること」が、きょうだいへの支援の第一歩になります。
きょうだいが背負っているものを知ること。その重さを軽くすることが、精神疾患のある本人への支援にもつながります。「本人を支える人を支えること」——それが精神科訪問看護師の仕事の、目に見えにくい重要な部分だと思っています。
きょうだいが「支える側」になるまで
精神疾患を持つ家族がいるとき、もっとも見えにくい存在がきょうだいです。親は介護者として認識されやすく、支援機関もアプローチしやすい。でもきょうだいは、子どもの頃から「しっかりしなければ」という役割を担わされ、成人してからも見えないところで重荷を背負っていることが多い。
私がそのことを深く考えるようになったのは、Pさんのお姉さんと話してからです。
Pさんのお姉さんの言葉
Pさんは72歳、双極性障害。私の担当利用者です。Pさんには二歳上のお姉さんがいて、長年Pさんの世話をしてきました。お姉さんは70代後半になった今も、月に二回はPさんの家に来て、食料の買い出しを手伝っています。
あるとき、お姉さんから電話がありました。「坂本さん、少し話を聞いてもらえますか」。電話口でお姉さんは静かに話しました。「Pが最初に入院したのは、私が二十二歳のときでした。あの日から私の人生が変わった気がして」。
結婚の話があったとき、相手の親から「精神疾患の家系は困る」と言われたこと。職場でPさんのことをどこまで話していいかわからなかったこと。両親が亡くなってから、自分だけがPさんの支えになるプレッシャーを感じてきたこと。五十年間、誰にも話せなかったことを話してくれました。
「ありがとうございます、話してくれて」と私は言いました。「Pさんを支えてくれているお姉さんのことも、私は気にかけています」と。お姉さんは「こんな話を聞いてもらえると思っていなかった」と泣いていました。
Wさんのきょうだい支援
Wさんは50代前半、統合失調症で私が訪問しています。Wさんの弟さんは、地方から月に一度帰省してWさんの様子を見ています。弟さんは自分の仕事と家族を持ちながら、兄の世話も続けていました。
弟さんが私に言いました。「兄のことは大事だけど、自分の家族にも申し訳なくて。妻には『また行くの』って顔をされる。でも行かないわけにもいかない。どうすればいいんでしょう」。
私にできることは、弟さんの罪悪感を軽くすることでした。「毎月来てくれているだけで、Wさんはすごく安定しています」「来られないときは私がフォローします」「一人で全部を引き受けなくていいです」。そう伝えました。弟さんは「そう言ってもらえると助かります」と言いました。
きょうだいへの支援は、精神科訪問看護の仕事の一部だと私は思っています。直接の利用者だけでなく、その人を支えている家族全体を視野に入れること。特に、見えにくい場所で重荷を背負っているきょうだいに声をかけること。それが回復の環境をつくることになります。
Pさんのお姉さんは今日もPさんの家に向かっています。弟さんは今月もWさんのところへ帰省します。その人たちを支えることが、利用者さんを支えることにつながっています。
きょうだい自身が「限界」を知ること
Pさんのお姉さんと電話で話したあと、私は「きょうだい支援」について真剣に考えるようになりました。訪問看護の制度は、あくまで利用者本人への支援が中心です。でも、利用者さんを支えている家族——特にきょうだい——が倒れれば、その人の支援体制ごと崩れることがある。
Wさんの弟さんが「妻に申し訳ない」と言ったとき、私はその言葉の重さを受け止めました。きょうだいは多くの場合、選んで支援者になったわけではありません。親が亡くなり、他に頼れる人がいなくなり、気づいたら「支える側」になっていた。そこに選択の余地はなかったかもしれない。
大切なのは、きょうだいが「限界」を知ることです。自分が倒れたら、利用者さんも倒れる。だから自分を守ることは、利用者さんを守ることと同じです。そのことをきょうだいに伝え、社会的支援(ヘルパー、デイサービス、相談窓口)につなぐことが、私の役割の一部だと思っています。
見えない場所で支えている人たちへ
精神疾患を持つ方を支えているきょうだいは、日本に無数にいます。でもその存在は、支援制度の中では見えにくい。ケアラー支援という概念が少しずつ広まっていますが、精神疾患のきょうだいへの支援はまだ十分ではありません。
私が訪問の中でできることは限られています。でも、「あなたのことも気にかけています」という一言を届けること、疲れていないかを確認すること、必要なら相談窓口を伝えること——小さなことでも、きょうだいの孤立を和らげることはできます。
Pさんのお姉さんは、五十年間誰にも話せなかったことを話してくれました。その一言が、どれほどの重さを軽くしたか、私にはわかりません。でも「話せてよかった」と言ってくれました。それで十分です。今日もきょうだいの声に、耳を傾けます。
ヤングケアラーとしてのきょうだい
近年、「ヤングケアラー」という言葉が知られるようになってきました。家族の介護や世話を子どものころから担ってきた若者のことです。精神疾患を持つきょうだいがいた場合、子どものころから「兄(姉)がいるから自分がしっかりしなければ」という役割を担わされることがある。Pさんのお姉さんも、二十二歳の時にPさんが入院したその日から、そういう立場に置かれました。
ヤングケアラー経験者は、自分の感情を後回しにすることが習慣になっている場合があります。「自分のことより相手のこと」という優先順位が染み込んでいる。だから「あなた自身はどうですか」と聞かれると、答え方がわからなくなる。Pさんのお姉さんが「こんな話を聞いてもらえると思っていなかった」と泣いたのは、「自分のことを聞いてもらえる」という経験が少なかったからではないかと思います。
きょうだい支援の入口は、「あなたのことも気にかけています」という一言です。それだけで、長年一人で背負ってきた重さが少し軽くなることがある。Wさんの弟さんも、Pさんのお姉さんも、話し相手がいることで少し楽になってくれたと思います。
訪問看護師として、私は利用者さん一人だけを見ているわけではありません。その人を取り巻く関係性全体が、その人の回復を支えています。きょうだいが安定していること、疲弊していないこと——それが利用者さんの生活の安定にもつながっています。今日もその視点を持って訪問に出かけます。
精神疾患を持つ家族を支えるきょうだいへの支援は、まだ制度的に十分とは言えません。でも、目の前にいるきょうだいに「あなたの話も聞きます」という姿勢を持つこと——それは制度がなくてもできます。Pさんのお姉さんとWさんの弟さんが教えてくれたのは、「聞いてもらえる」という経験の大切さです。利用者さんの回復は、その人を支える人たちの安定なしには続きません。今日もその視点を持って訪問します。きょうだいの声に、耳を傾けます。
Pさんのお姉さんは今日もPさんのそばにいます。見えないところで支えている人たちへ、感謝と敬意を込めて。
きょうだいが一人で抱えている重さに気づくことは、訪問看護師として大切な視点です。Pさんのお姉さんが「五十年間誰にも話せなかった」と言ったことは、きょうだいがどれほど孤立しているかを示しています。「あなたのことも気にかけています」という一言が、五十年分の孤独を少しだけ和らげることがある。今日も利用者さんの訪問の中で、その方を支えているきょうだいの存在を忘れずにいます。
きょうだいが一人で抱えている重さに気づくことは、訪問看護師として大切な視点です。Pさんのお姉さんが「五十年間誰にも話せなかった」と言ったことは、きょうだいがどれほど孤立しているかを示しています。「あなたのことも気にかけています」という一言が、五十年分の孤独を少しだけ和らげることがある。今日も利用者さんの訪問の中で、その方を支えているきょうだいの存在を忘れずにいます。
きょうだいの声に耳を傾けること。それが利用者さんの生活を支える基盤をつくります。Pさんのお姉さんと、Wさんの弟さんへの感謝を胸に、今日も訪問に出かけます。
きょうだいを支えることが、利用者さんを支えることになります。今日もその循環を大切にして訪問に出ます。
坂本なつ(精神科訪問看護師・12年)