「訪問看護師の一日って、どんな感じなんですか」とよく聞かれます。「家を周り続けているんですか」「移動が大変そう」「一人で行くんですか」——いろいろなイメージがあるようです。今日は、精神科訪問看護師の実際の一日を書いてみます。
朝:訪問前の準備と記録確認
朝はステーションに集まって、その日の訪問スケジュールを確認します。今日は何人を訪問するか、それぞれの直近の状態はどうか、前回の訪問から変わったことはあるか——記録を見直して、「今日の訪問でチェックすること」をある程度頭に入れておきます。
特に心配な方がいれば、その方の記録をしっかり読んでから行きます。「最近眠れていない」「先週から不安が強い」という情報があれば、「今日はその点を中心に確認しよう」と準備します。
持ち物は血圧計、パルスオキシメーター、体温計などのバイタル測定器具と、記録用のタブレット端末。それと訪問カバンと自転車。都市部では自転車が主な移動手段になることが多いです。
午前中:高齢の方の訪問から始まることが多い
私のスケジュールでは、午前中は高齢の方の訪問から始まることが多いです。
Jさん、80代の男性。毎回の訪問が心地よい方でした。訪問すると、すでにラジオ体操を済ませてテレビをつけている。「今日もスキップせずに内服できました」と言って、薬カレンダーを見せてくれる。それを確認してからバイタルを測り、「最近変わったことはありますか」と聞く。Jさんはいつも「特にないです。おかげさまで安定してます」と穏やかに答えてくれる。そのまま15〜20分、テレビを見ながら談笑する。
「こんな穏やかな訪問でいいのか」と思う日もあります。でも、「変化がない」ことを確認することが大事な仕事です。「今日も安定していた」という記録が続くことが、状態を維持するための支えになっています。
Kさん、70代の女性。春になると「暖かくなって気持ちがいいですね」と話してくれます。屋外歩行訓練を一緒にして、外の空気を吸う。その帰り道に「最近のこと」を聞く。外に出ると話しやすくなる方がいます。室内より開けた場所の方が、言葉が出やすいことがある。
午後:状態が不安定な方との訪問
午後は、状態が不安定な方や、若い方の訪問が入ることが多いです。
20代の方の訪問では、会話が長くなることがあります。就職のこと、家族とのこと、お金のこと——生活の困りごとが多い世代です。「どうしたらいいかわからない」という状態の方に、一緒に整理しながら考える時間が必要なことがある。30分の訪問が、気づいたら1時間近くになっていることもあります。
状態が悪い方の訪問では、沈黙が多くなることがあります。「調子はどうですか」に「まあ」と答えるだけの日。それでも、バイタルを測り、薬を確認し、「また来週来ます」と言って帰る。「今日は話せなかった」という日でも、訪問したこと自体が意味を持っていると思っています。
夕方:記録と連絡・調整
訪問が終わったら、記録を書きます。訪問中に気になったこと、変化したこと、次回確認したいことを書き残します。「今日の訪問」の記録は、「来週の訪問」の準備にもなります。
気になることがあれば、主治医への連絡をします。「先週から眠れていない様子です」「服薬が続いていない状況です」という情報を伝えることで、主治医が次の受診で対応できます。訪問看護師は「生活の場での情報」を持っている。それを医師に橋渡しすることが、連携の大事な部分です。
ケアマネジャーや相談支援専門員との連絡調整も、夕方にすることが多いです。「来週退院の予定です、引き継ぎの打ち合わせをしたい」「最近状態が変化しているので、情報を共有したい」——チームで関わっているので、情報を共有することが大事です。
「移動の時間」が考える時間になる
訪問と訪問の間の移動時間——自転車に乗りながら、今の訪問を振り返ります。「あの言葉はどういう意味だったか」「次回どうアプローチするか」「先生に伝えた方がいいことはあるか」——頭の中で整理しながら移動する時間が、この仕事では大事な思考の時間になります。
職場に戻れず直行直帰の日もあります。そういうときは、移動中や合間に記録をタブレットで書いて送る。どこからでも記録を書けるのが、今の訪問看護の形です。
「ただいる」ことの価値
訪問看護師の仕事の中で、「特に何もしなかった」訪問があります。話を聞いただけ、バイタルを測っただけ、一緒に外を歩いただけ。でも私は、それが意味のない訪問だとは思っていません。
「毎週来てくれる人がいる」という安心は、目に見えないけれど確かにある。Jさんのラジオ体操とお茶の時間も、Kさんの「暖かくなって気持ちいい」という言葉も——「何かをやった」ではなく「一緒にいた」という事実が、生活を支えています。「ただいること」の価値を、この仕事を通じて学びました。精神科訪問看護とは何かについては精神科訪問看護とは何かもご覧ください。
午後の訪問——79歳のKさんのこと
午後の最初の訪問は、Kさん(79歳)宅です。認知症と不安障害を持つKさんは、一人暮らしです。娘さんが近くに住んでいますが、仕事が忙しく、毎日来ることはできません。「一人でいる時間が怖い」とKさんは言います。
今日は天気がよくて、Kさんは縁側の窓を開けて座っていました。「暖かくなって気持ちいい。こんな日は死ぬのが惜しいな」と笑いながら言った。「そうですね、こんな日は特にそう思いますね」と答えながら、私も縁側に並んで座りました。
Kさんは血圧が高めで、内服の管理が必要です。今日も薬の残数を確認して、「ちゃんと飲めてましたね」と伝えました。「娘に飲んだかどうか聞かれると嫌なんです。でも、あなたに確認されるのは平気」とKさんは言いました。「なぜかな」と聞くと、「娘は心配してるけど、どこか確認している感じがする。あなたは一緒に確認してる感じがする」と言いました。
その言葉を、私はずっと大切にしています。「管理する」と「一緒に確認する」——何が違うのか、うまく説明できませんでしたが、Kさんが教えてくれた気がしました。
午後の休憩——記録とその意味
2件の訪問が終わったあと、車の中で30分ほど記録を書きます。「今日のKさん:縁側、天気の話、血圧138/84、内服確認OK。『死ぬのが惜しい』発言——死念慮ではなく、今日の日への肯定として受け取った。根拠:表情穏やか、笑いながら、縁側での日差しへの言及」という感じで書きます。
記録を書くのは、自分の観察を整理するためでもあります。「気になった」と思うことを書き留めることで、次回の訪問で確認できる。「先週、死ぬのが惜しいって言ってましたね。今週はどうですか」という問いかけが、次回できるようになる。記録は過去の自分と次回の自分を繋ぐ橋です。
この仕事を始めた頃は、記録が「義務」でした。でも今は、「次に会うときのためのメモ」だと思っています。「先週こんな話をしていましたね」と言えるとき、利用者の方は「覚えていてくれた」と感じてくれることがある。その積み重ねが、「この人は私のことを見ている」という安心に繋がります。
夕方の電話——緊急対応のこと
記録を終えたころ、事業所から電話が来ることがあります。「担当以外の利用者さんから電話が入った」「家族から連絡があって状態が心配」という内容が多い。今日は別の担当者の利用者さんが「声がまた聞こえ始めた」と電話してきたという連絡でした。担当者は今日休みだったため、私が代わりに電話しました。
電話で話した内容は、「今の声はどんな声ですか」「身体の症状(頭痛・吐き気など)はありますか」「今の安全は確認できますか」という確認でした。「声は聞こえるけど、怖くない。ただうるさい」という返答で、身体症状なし、安全確認OK。「主治医に連絡を取って様子を伝えますね。明日担当が来るので、今日は何かあればまた電話してください」と伝えました。
緊急対応は毎日あるわけではありませんが、いつでも起きうるという心構えが必要です。「今日は何もない日」がほとんどですが、「いつ何があってもおかしくない」という準備が必要な仕事です。それが、精神科訪問看護の難しさでもあり、「しっかり関係を作っておく」ことが大切な理由でもあります。
1日を終えて思うこと
1日の訪問を終えて、事務所に戻ってカルテを仕上げます。今日のJさん、Kさん、電話対応した利用者さんのことを書きながら、「それぞれのその人らしさ」を感じます。Jさんのラジオ体操、Kさんの縁側、電話の向こうの「ただうるさい」という表現——どれも、その人が「今日も生きている」ということを教えてくれます。
「精神科訪問看護師の一日」は、劇的なことが起きる日ばかりではありません。むしろ「何も起きなかった日」が、良い日です。「いつもどおりだった」というのは、安定の証です。そのいつもどおりを守るために、毎週同じ顔で訪問し続ける。それが、この仕事の核心だと思っています。
夜の引き継ぎと「バトンを渡す」感覚
夕方、事務所に戻って記録を仕上げながら、当日の担当者同士で情報共有をします。「今日のAさん、少し不安強めでした。週明けに確認してもらえますか」「Bさん、薬が足りなくなりそうなので主治医に伝えます」——そういった引き継ぎが、訪問看護の連続性を作ります。
私は「バトンを渡す」という感覚でこの引き継ぎをしています。今日の自分の訪問だけで完結するのではなく、「次に会う誰かへ」つなぐ。その「誰か」が翌日の担当者であることも、主治医であることも、家族であることもある。「今日気になったことを、次の人に伝える」という意識が、支援の連続性を守ります。
この仕事を続けている理由
「精神科訪問看護師の一日」は、劇的な場面が続くわけではありません。むしろ「普通の日」の方が多い。雑談して、バイタルを測って、薬を確認して、「また来週」と言って帰る。その繰り返しです。
でもその「普通の日」が積み重なって、関係ができていきます。「今日もいつもどおりだった」という安心が、「また来週も来てもいい」という気持ちに繋がる。「また来週も来てもいい」が積み重なって、「来てくれるから話せることがある」になっていく。
Jさんが「あんたが来ると今週も無事だったと思える」と言ってくれた日、私はこの仕事の意味を改めて感じました。「大きなことをしているわけではない」という感覚は今もあります。でも、「大きなことをしなくていい」という仕事もある。毎週同じ顔で来て、話を聞いて、帰る——そのことに意味がある仕事が、精神科訪問看護だと思っています。
「精神科訪問看護師の一日」を文章にしてみて、改めて感じるのは「これが仕事なのか」という感覚です。雑談して、バイタルを測って、記録を書いて——それが本当に医療なのかと聞かれれば、「そうです」と答えます。でも医療だけではない。生活の中に入って、その人の時間の一部になること。「また来週」と言い合える関係を続けること。それが精神科訪問看護の仕事です。Jさんの「今週も無事だったな」という言葉が、今日も私を動かしています。
精神科訪問看護師として12年働いてきた中で、「変わらないこと」の大切さを感じるようになりました。毎週同じ時間に来る、同じ顔で挨拶する、同じように「今週どうでしたか」と聞く。その変わらなさが、「安定している世界の一部」として機能します。変化の多い生活の中に、「変わらないものがある」という安心。それを届けることが、この仕事の意味だと思っています。
この仕事の良さは、「ゆっくり変わっていくものを一緒に見られること」だと思っています。Jさんが「今週も無事だった」と感じられる週を、これからも一緒に重ねていきたい。精神科訪問看護師の一日は、そんな積み重ねでできています。
訪問看護師の一日は、「普通の積み重ね」でできています。Jさんの「今週も無事だった」という言葉を胸に、明日もまた玄関を叩きに行きます。それがこの仕事の、変わらない一日です。
毎週同じ顔で来る——その変わらなさが、この仕事の核心だと思い続けています。
精神科訪問看護師の一日は、今日も静かに続いています。
これが、この仕事の一日です。
それが、この仕事の一日です。
坂本なつ