「入院した方がいいと思います」と伝えることが、年に何度かあります。

言いやすい言葉ではありません。本人は嫌がることが多い。家族も「そこまでしなくても」と言うこともある。でも、言わなければいけないときがある。

入院を考えるタイミング

  • 自傷・他害のリスクが高まっているとき
  • 服薬が完全に止まり、症状が急速に悪化しているとき
  • 食事・水分が全く取れなくなっているとき
  • 家族が疲弊して、在宅での支援が限界になったとき

どれか一つが当てはまれば即入院、ではありません。総合的に判断します。でも「まだ大丈夫」と言いながら限界まで引っ張るのも、本人にとってよくないことがある。

「入院=失敗」ではない

家族から「また入院になってしまった」という言葉を聞くことがあります。「また」というところに、自責の気持ちが込められている。

入院は失敗ではありません。状態を整えるための選択です。再入院が繰り返される理由と意味については、再入院を繰り返す本当の理由に書きました。

決断の後に残るもの

入院を勧めた後、「あれでよかったのか」と考えることがあります。今でも。

本人が嫌がっていたこと、泣いていたこと。それを「必要なことだから」と押し進めた。

正解だったかどうか、わからないことの方が多いです。それでも、また次の訪問に行く。それしかできないから。

APさんに「入院した方がいい」と伝えた日

APさん(33歳)に「入院した方がいいと思います」と伝えたのは、頓服薬をまとめて飲んでしまったことが2度続いた後でした。「眠れなくて、焦って飲んだ」という説明でしたが、2回目のとき、「全部飲んでしまおうかとも思った」という言葉が出てきた。

その言葉を聞いた瞬間、私の中で「これは入院のラインだ」という判断が働きました。「全部飲もうと思った」は、希死念慮がある状態です。主治医にすぐ連絡して、当日中に受診し、緊急入院になりました。

「入院したくなかった」とAPさんは言いました。「仕事を休まなきゃいけない」「また迷惑かける」「自分がダメだ」という言葉も出てきた。「入院は失敗ではない。今の状態を整えるための選択です」と伝えましたが、APさんはしばらく黙っていました。

「正しかったか」という問いへの答え

入院を勧めた後、「あの決断は正しかったか」と考えます。「入院させたことで、信頼を失ったのではないか」「もっと別の方法があったのではないか」という問いが浮かびます。

でも、「全部飲もうと思った」という言葉を聞いた後に、「様子を見ましょう」という選択はできなかった。万が一のことがあってからでは取り返しがつかない。「あとで後悔しないための選択」として、入院を勧めることは正しかったと思っています。

2週間後に退院したAPさんは、「入院してよかった」と言いました。「入院中にゆっくり休めた。先生と薬の調整もできた。外にいたらもっとひどくなっていたかもしれない」と。その言葉で少し楽になりました。「正しかったか」という問いへの答えは、本人が退院後にどう感じたかが一番の基準かもしれません。

入院を「失敗」と見ないこと

精神科の入院は、「症状が悪化した=失敗」ではないと伝え続けています。入院が必要な状態になることは、慢性疾患の経過として起きることです。糖尿病が悪化して入院するのが失敗でないように、精神疾患が悪化して入院することも、失敗ではありません。

「入院=失敗」という見方が根強いと、入院が必要な状態になっても「入院したくない」という拒否が強くなります。本人も家族も「なるべく入院しないようにしなければ」というプレッシャーを持ちすぎると、入院が必要なタイミングを見逃すことがある。「入院は治療の選択肢のひとつ」という認識が、早めの対応につながります。

私が意識するのは、「入院の話を事前にしておくこと」です。「もし状態が悪化したとき、入院という選択肢があります」ということを、安定しているときに伝えておく。「いざというときに入院する」ことを、事前に一緒に考えておく。そうすることで、「入院=突然の決断」ではなく「あらかじめ話していた選択肢」として受け取られやすくなります。

家族への説明

入院を勧めるとき、本人だけでなく家族への説明も大切です。「なぜ入院が必要なのか」「どのくらいの期間になるか」「退院後はどうなるか」——家族が理解していないと、「そんな大げさな」という反応になることがある。

APさんの場合、「全部飲もうと思った」という言葉の重さを家族に伝えました。「その言葉が出てきたとき、安全を守るために入院が必要と判断しました」という説明で、家族は「そういうことなら」と理解してくれました。「なぜ入院が必要か」の根拠を具体的に伝えることが、家族の不安を和らげます。

入院を勧める判断は、毎回重いです。でもその重さから逃げることはできない。「必要なときに、必要だと言える」関係を作ることが、訪問看護師の仕事のひとつだと思っています。

「入院のサイン」を一緒に決めておくこと

「入院した方がいい」という判断を、その場だけで下すのは難しいです。だから、安定しているときに「入院が必要になるとしたらどんな状態か」を一緒に考えておくようにしています。

APさんとは、「眠れない夜が3日以上続いたとき」「頓服を1日に2回以上飲んだとき」「自分を傷つけたいという気持ちが出てきたとき」を入院を検討するサインとして決めていました。「そのサインが出たら、すぐ連絡してください」という約束も作っていた。

「全部飲もうかと思った」という言葉が出てきたとき、「これはサインが出た」と判断できたのは、事前にこの話し合いをしていたからです。事前に決めておくことで、「入院を勧める」ことが「約束を守ること」になる。本人にとっても「言った通りのことが起きた」という納得感が生まれやすくなります。

退院後の関わりの大切さ

APさんが退院した翌日、私は訪問しました。「退院後24〜48時間は一番不安定な時期」という経験則があります。病院という「保護された環境」から出た直後、外の生活に戻ることへの不安が強くなりやすい。

「退院できてよかったです」と言ったとき、APさんは「でも怖い」とも言いました。「何が怖いですか」と聞くと、「また同じことをしてしまうかもしれない」と言いました。「その怖さは大事なサインです。怖いと感じながら、一緒に考えましょう」と答えました。

退院直後の訪問は、「状態確認」だけではありません。「また来てくれた」という安心を届けることでもある。「入院させた」という出来事が、「退院しても来てくれた」という体験で更新される。それが、入院後の関係を続けていく上で大切なことだと思っています。

「決断の重さ」を抱えること

入院を勧める決断は、毎回「これでよかったか」という問いを残します。「もっと様子を見るべきだったか」「本人がどれほど嫌がっているかを考えたとき、強引すぎたか」——そういった問いは消えません。

でも、「決断しなかったことへの後悔」の方が、はるかに重いと感じています。安全に関わる場面で「様子を見ましょう」と言って、その後に何かあったとき——それは取り返しがつかない。「決断の重さ」を抱えながら、「必要なときに必要だと言える」ことを続けることが、専門職としての責任だと思っています。

入院を勧めた後も、退院後も、関わり続けること。「入院させた人」ではなく、「一緒に考えてきた人」として存在し続けること。それが、精神科訪問看護師として大切にしていることのひとつです。

入院に同行することの意味

「入院した方がいい」という判断をした場合、可能な限り受診に同行するようにしています。「入院させた」ではなく「一緒に行った」という体験にするためです。

APさんが受診した日、私も同行しました。主治医との面談のときに「訪問看護師から見た状態」を伝えられる。「先週からこういう状態が続いていて、今日の言葉を受けて緊急対応が必要と判断しました」という情報が、主治医の判断を助けます。「訪問看護師が一緒に来た」ということが、「本当に深刻な状態なんだ」という伝わり方にもなります。

入院が決まったとき、APさんは「一人じゃなくてよかった」と言いました。「一人で来ていたら逃げ帰っていた」とも。「一緒に行く」という関わりが、「入院する選択」を支えていた。入院を勧めることは「決断させること」ではなく「決断を一緒に支えること」だと思っています。

「あの決断は正しかったか」という問いと共に生きること

入院を勧めるたびに「あの決断は正しかったか」という問いが残ります。この問いは消えません。「正しかった」と確信できる決断なんて、現場ではほとんどありません。常に「情報が揃っていない中で、最善だと思う選択をする」の繰り返しです。

「正しかったか」という問いを持ち続けることは、「次の判断を丁寧にする」ための力になります。「あのときこうすればよかった」という振り返りが、「今度はこう関わろう」を作る。問いを持ち続けることが、専門職としての成長になる。

APさんが「入院してよかった」と言ってくれた日、「あの決断は正しかった」という答えが届きました。でもそれは、APさんが出してくれた答えです。「自分が正しかった」ではなく、「APさんにとって必要だった」という意味で。その区別を、これからも忘れないようにしたいと思っています。

「入院を勧める」ことを続けること

APさんへの入院を勧めた経験は、「次に入院を勧めるとき」の力になっています。「一度やったことがある」という経験が、判断の基準を作ります。「こういう状態のときは入院のサインだ」という感覚が、少しずつ精緻になっていく。

「入院を勧めることが嫌い」という感情は、今もあります。本人が嫌がる可能性がある。家族が戸惑う可能性がある。関係が壊れるかもしれないという不安も、毎回ある。でも「言わなければいけないとき」に「言える自分でいること」の方が大切だと、APさんとの経験が教えてくれました。

「入院してよかった」と言ってくれたAPさんの声が、「次も言える」という勇気になります。入院を勧めた後の関係が続いていること、退院後も一緒に関わり続けていること——それが「入院を勧めること」を、「正しい選択だった」と思えるにさせてくれています。

入院を勧めることは、この仕事の中で最も重い判断のひとつです。でも「必要なときに言える」自分でいることが、「関わり続けること」の土台です。APさんが「入院してよかった」と言ってくれた日を、これからも大切にしながら、次の判断に向き合い続けます。精神科訪問看護師として、「正しかったか」という問いと共に生きること——それが、この仕事を丁寧に続けるための力になっています。

「入院のサインを一緒に決めておく」という関わり方は、APさん以外の利用者さんにも広げています。「こういう状態になったら連絡してください」という約束を、安定しているときに作っておく。その約束が、「言っていい」という許可になる。入院を「突然の出来事」にしないことが、「入院に備えること」の核心です。これからも、「もしものときの話」を安定しているときにできる関係を、大切にしたいと思っています。

入院を勧めることの重さを感じながら、「必要なときに必要だと言える自分でいること」を大切にしています。APさんとの経験が、その土台になっています。これからも、利用者さんの安全を最優先に、判断し続けます。

入院を勧めた後も続く関係が、「入院してよかった」という言葉を生みます。その言葉を受け取るために、退院後も玄関に立ち続けます。APさんとの2年半が、その証です。

「正しかったか」と問い続けながら、「次も正しくあろう」とする。その繰り返しが、専門職としての成長につながります。APさんと一緒に積み上げてきたものを、これからも大切にします。

APさんと続く関係が、入院を勧めた日の答えです。これからも「必要なときに言える」自分でいます。

APさんの「入院してよかった」が、重い判断を続ける力になります。これからも、必要なときに必要だと言い続けます。

入院を勧めた判断が正しかった。APさんがそれを教えてくれました。


坂本なつ(精神科訪問看護師・12年)

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