訪問先に、子どもがいることがあります。
利用者さんのお子さん。小学生だったり、中学生だったり。ときには小さな子が、私が来るとそっと部屋の隅に移動することがある。
その子の背中を見るたびに、いろいろなことを考えます。
子どもは「見ている」
親が精神疾患を抱えている家庭で育つ子どもは、多くを語りません。でも、見ています。
「お母さんが薬を飲まないと怖くなる」「お父さんが急に怒り出す日がある」「調子が悪い日は学校から帰りたくない」——子どもたちはそういう日常の中で、空気を読む力を身につけていきます。
それは生き延びるための知恵だけれど、本来は子どもがそんなことを覚えなくていい。
ヤングケアラーという言葉
最近、「ヤングケアラー」という言葉が知られるようになってきました。家族の介護や世話を担う18歳未満の子どものことです。
精神疾患の親を持つ子どもも、その一形態です。親が調子を崩したときに家事をする、弟妹の世話をする、親の状態を見て「今日は何も言わないようにしよう」と気を遣う——それはケアです。
訪問先でそういう子どもを見つけたとき、私にできることは多くはありません。でも「この家には子どもがいる」という情報を記録に残し、学校や相談機関との連携を考えます。
親が安定することが、子どもへの最大の支援
精神科訪問看護で利用者さんの状態を安定させることは、その家族——特に子ども——の生活を守ることにもつながっています。
「子どものために頑張りたい」という言葉を、訪問先で何度も聞いてきました。その言葉を大事にしながら、服薬を続けられるよう、生活が崩れないよう、一緒に考えます。
家族全体への支援については、家族が限界になるときにも書いています。
Gさんが過呼吸で電話してきた夜
Gさん、22歳。大学2年生のとき、夜中の過呼吸で救急に運ばれたのが最初でした。診断はパニック障害でしたが、話を聞いていくうちに、母親の精神疾患が長く家庭に影響していたことがわかってきました。
「お母さんが調子悪くなると、全部私がやらなきゃいけなかった」とGさんは言っていました。小学生のころから料理を作っていた。弟たちをお風呂に入れていた。夜中に「死にたい」とつぶやく母親の横に座っていた。「助けを呼ばなきゃいけないと思いながら、でも呼んだらどうなるかが怖くて呼べなかった」と言いました。
Gさんが成人して一人暮らしを始めたとき、初めて「もう誰も助けなくていい」状況になりました。でも、それが逆につらかった。「自分がいなくて大丈夫か不安」「何かあったらLINEが来る。LINEが来るたびに心臓がドキドキする」と言っていました。過呼吸が起きるのは、決まって母親からLINEが届いた後でした。
「ヤングケアラー」という言葉の前にあること
最近「ヤングケアラー」という言葉が知られるようになってきました。家族の介護や家事を担う子どもや若者のことです。精神疾患の親を持つ子どもも、このヤングケアラーに含まれることが多い。
でも私が感じるのは、「ヤングケアラー」という言葉が届く前に、その子どもたちが何年も黙って抱えてきた時間がある、ということです。誰にも言えなかった。「うちは普通じゃない」と思いながらも、「でも家族のことを外で言ってはいけない」と感じていた。そのうち「自分がなんとかしなきゃいけない」が当たり前になっていく。
Gさんも、「こういうの、誰かに話したの初めてです」と言っていました。22歳になるまで、誰にも言えなかった。学校の先生にも、友達にも、彼氏にも。「話したら、かわいそうって思われそうで嫌だった」と言いました。「かわいそう」ではなく、「大変だったね」と受け取ることが、大事だと思っています。
親の訪問で「子どもの状態」を見るということ
精神疾患の方の訪問に伺うとき、同居している子どもの様子にも目を向けるようにしています。「最近、お子さんはどうですか」「学校には行けていますか」「ご飯はちゃんと食べていますか」——直接聞けることもあれば、部屋の中から感じることもある。
ランドセルが玄関に投げっぱなしになっている、制服のまま眠っている子どもの姿が見える、食卓に食べかけのものが散らかっている——こういった場面に気づいたとき、「子ども自身も影響を受けているかもしれない」と考えます。訪問看護師は「本人」だけを見る仕事ではなく、その人が生きている「家」全体を見る仕事だと思っています。
あるお宅で、小学3年生の女の子が毎回私の訪問のときに「お茶、出しましょうか」と言ってきたことがありました。「大丈夫ですよ、ありがとう」と断りながら、「この子はいつもこんなふうに気を使っているんだな」と感じました。子どもが「大人の役割」をしているとき、その子の心の中には「自分がしっかりしなきゃ」という重荷がある。そのことを、見えなかったことにしてはいけないと思っています。
Gさんへの関わり——「責任を手放す」ということ
Gさんへの関わりで私が大切にしたことは、「お母さんのことはGさんが責任を持たなくていい」と伝え続けることでした。「でも、私が連絡しなかったら何かあるかもしれない」と言うGさんに、「何かあれば、医療機関や支援者が対応します。あなたが全部引き受けなくていい」と繰り返しました。
「そんなこと言われたの初めて」とGさんは言いました。「みんな、私が連絡先だから私に言ってくる。私が頑張らなきゃいけないんだと思ってた」と。子どもが「緊急連絡先」として使われ続けることで、子ども自身の生活が圧迫される。そういう構造は、意識的に変えていく必要があります。
Gさんは今、母親からのLINEに「すぐ返さなくていい」という練習をしています。最初は「返さないと不安で眠れなかった」けど、「翌朝返しても大丈夫だった」という体験を少しずつ積み重ねています。「返信を遅らせるのに、こんなに練習が必要なんだ」と笑いながら言っていたGさんの顔が、印象に残っています。
精神疾患の親を持つ子どもを支えるために
精神疾患の親を持つ子どもへの支援は、まだ十分ではありません。「子どものことは学校の先生の仕事」「精神科の訪問看護は本人のもの」という縦割りの中で、子どもが見えなくなることがある。でも、子どもが影響を受けていることは事実です。
私にできることは小さい。でも「この子のことも気にかけている大人がいる」という存在になることは、できます。「お母さんのこと、心配しているね」と声をかけること。「学校、楽しい?」と聞くこと。その一言が、何年もあとになって「あのとき誰かが見てくれていた」という記憶になることがあります。
Gさんのような経験をしてきた人が、「自分は悪くなかった」と思えるようになる。それが、私が関わり続ける理由のひとつです。
「助けを求めてはいけない」という縛り
精神疾患の親を持つ子どもに共通するのは、「家のことを外で言ってはいけない」という縛りを自分で作っていることです。Gさんも「うちのことを話すと、お母さんが変な目で見られると思っていた」と言っていました。学校の友達に「お母さんどうしてるの」と聞かれるたびに、「元気だよ」と答えていた。嘘をつくことに慣れていった。
「家のことを話してはいけない」という縛りは、子どもを孤立させます。友達に話せない、先生にも話せない、誰にも頼れない——そのうち「自分でなんとかしなきゃいけない」という感覚だけが強くなっていく。それが長年続くと、「助けを求める」こと自体が怖くなってきます。「頼んで断られたら終わり」「頼んだら迷惑をかける」という思いが、助けを求める行動を止めてしまう。
Gさんが「こういうの誰かに話したの初めてです」と言ったとき、私は「よく話してくれた」と思いました。22年間抱えてきたものを、初めて言葉にした。その場に立ち会えたことが、この仕事をしていてよかったと思う瞬間でした。
子ども自身がサポートを受けること
精神疾患の親を持つ子どもへの支援は、まだ日本では十分に整っていません。「親の支援」は精神科や訪問看護が担えますが、「子どもへの支援」は学校なのか福祉なのかが曖昧で、隙間に落ちやすい。
でも少しずつ変わってきています。「ヤングケアラー支援」として、学校のスクールカウンセラーや、地域の子ども家庭相談員が関わるケースが増えています。成人後も、カウンセリングや自助グループ「こどもぴあ」のような場所で、同じような経験を持つ人と話せるようになっています。
Gさんも、私との関わりをきっかけにカウンセリングを始めました。「同じような経験をした人の話を読んで、自分だけじゃないとわかった」と言っていました。「自分だけじゃない」という感覚が、孤独を和らげる。その感覚が持てるまでに、Gさんは22年かかった。もっと早くに届けられれば、という気持ちは今もあります。
訪問看護師ができること、できないこと
精神科訪問看護師として、精神疾患の親を持つ子どもに対して直接できることは限られています。担当しているのは「親」であって、「子ども」ではないから。子どもへの直接的な支援は、別の専門家や機関が担うべき部分が多い。
でも、「気づくこと」はできます。「この家に子どもがいる」「その子が抱えているものがある」と感じたとき、スクールカウンセラーへのつなぎを主治医に提案する、家族支援の情報を渡す、子どもに「困ったことがあればここに相談できるよ」という窓口を伝える——そういった動きは、訪問看護師としてできることです。
精神疾患の親を持つ子どもたちが、「自分は悪くなかった」「助けを求めていい」と思えるように。その思いを持ちながら、今日も訪問を続けています。
成長してから「あのころ」を語ること
Gさんは、22歳になって初めて「あのころ」を語る言葉を持つことができました。小学生のころは語る言葉がなかった。「普通じゃない家だ」とはわかっていたけれど、「何がどうおかしいか」を言語化できなかった。「ヤングケアラー」という言葉を知ったのも、大学に入ってからでした。
「あのころの自分に、なんて言ってあげたかったですか」と聞いたことがあります。Gさんはしばらく黙って、「頑張らなくていいよ、って言いたかった」と言いました。「頑張らなくていい」——それが、Gさんが今、自分自身に言い聞かせている言葉でもあります。過去の自分を慰めることが、今の自分を癒すことになっている。
精神疾患の親を持つ子どもが、大人になって自分の経験を言語化できたとき、それは回復の重要なステップになります。「あのころ大変だった」と言えること。「自分だけじゃなかった」と知ること。「頑張らなくてよかった」と思えること。その一歩一歩を、一緒に歩む人間でいたいと思っています。
子どもたちが「頑張らなくていい」と思える日が来るように。そのために今日も関わり続けています。精神疾患の親を持つ子どもが、大人になったとき「あのとき誰かが見てくれていた」と思い出せる存在でありたいと思っています。見えにくい苦しさを、見えなかったことにしない。それが、この仕事での私の誓いのひとつです。
Gさんがカウンセリングを続けて半年が経ちました。「母からのLINEが来たとき、以前より少し落ち着いて読めるようになった」と言っていました。「すぐ返さなきゃという気持ちが、以前より薄くなった」とも。小さな変化ですが、Gさんにとっては大きな一歩です。母親のことを「私が全部引き受けなきゃいけない」と思っていたGさんが、「支援機関が関わっている」と信頼できるようになってきた。それがGさん自身の安定につながっています。
精神疾患の親を持つ子どもたちは、今日もどこかで黙って抱えているかもしれません。その子たちへ届くように、この仕事を続けています。
精神疾患の親を持つ子どもたちへ。あなたが感じてきた苦しさは、本物でした。頑張りすぎなくてよかった。そして今、助けを求めていい。
今日もGさんへのエールを胸に、訪問を続けています。あなたは悪くなかった。これからは、頑張りすぎなくていい。
頑張りすぎてきた子どもたちへ——あなたの経験は、誰かの力になります。
それがこの仕事の誓いです。
今日も玄関を叩きます。子どもたちのために。
坂本なつ(精神科訪問看護師・12年)