Jさんが最後に外に出たのは、10年以上前のことでした。
統合失調症の症状が強い時期が続いて、外に出ると「見られている」「何かが起きる」という感覚が消えなかった。気づけば10年、ほとんど家から出ていなかった。
訪問を始めて1年が経った頃
週2回の訪問を続けて、薬が安定してきて、会話が増えてきた頃。Jさんが「外、行ってみてもいいですか」と言いました。
一緒に行きました。アパートを出て、マンションの前の道を少し歩くだけ。5分もかからない距離です。
Jさんは歩きながら、ずっと下を向いていました。でも途中で空を見上げて、「空、こんなんでしたっけ」と言いました。
「空、こんなんでしたっけ」
その言葉を今も覚えています。
10年間、窓から見ていた空と、外に出て見た空は、Jさんには違うものだったんだと思います。
帰り道、私は泣きそうになりました。なんで泣きそうになるのか、うまく説明できないんですが。嬉しいとも違うし、悲しいとも違う。初めて訪問した日の帰り道と似た感覚でした(初めて訪問した日のこと)。
回復は劇的じゃない
映画やドラマの「回復」は劇的に描かれることが多いですが、現実は違います。5分の散歩、それが最初の一歩。
その5分が、次の10分になって、コンビニに行けるようになって、近所を一人で歩けるようになる。時間はかかります。でも確実に積み重なっていきます。
「外に出る」という準備
Jさんが「少し外に出てみたい」と言ったのは、訪問を始めて1年半が経ったころでした。「外に出たい」と言えるまでに、どれだけの時間がかかったか。毎週の訪問で、少しずつ話が増えて、「窓を開けて日に当たれるようになった」「玄関先まで出られるようになった」という積み重ねがありました。
「外に出る」準備を、Jさんと一緒にしました。「どこに行きたいですか」と聞くと、「コンビニでいい」と言った。「何を買いたいですか」と聞くと、「チョコレートかな。ずっと食べてなかった」と言いました。「じゃあ一緒に行きましょう」と言って、約束しました。
当日、Jさんは玄関先で少し止まりました。「怖い」と言いました。「怖いですよね」と答えました。「でも今日は私がいます。何かあったらすぐ帰りましょう」と伝えると、Jさんは「じゃあ行く」と言って歩き始めました。
コンビニでの10分間
コンビニまでは歩いて3分でした。Jさんは最初、下を向いて歩いていました。「大丈夫ですか」と声をかけると、「大丈夫、緊張してるだけ」と言いました。コンビニに入ると、Jさんはゆっくりとお菓子のコーナーに歩いていきました。チョコレートを手に取って、「これにする」と言いました。
レジで支払いをするとき、Jさんの手が少し震えていました。店員さんに「ありがとう」と言った声が、少しかすれていた。それでも、ちゃんと支払えた。袋を持って外に出ると、Jさんは「できた」とつぶやきました。その声が、今も耳に残っています。
帰り道、Jさんは少し上を向いて歩いていました。「10年以上外に出ていなかった」と思うと、この3分+10分の外出がどれほどの意味を持つか。私は何も言えなくて、並んで歩いていました。
「また行けそう」という変化
翌週の訪問で、Jさんは「また行ってみた」と言いました。「一人で?」と聞くと、「一人で。同じコンビニ。同じ時間に」と言いました。「どうでしたか」と聞くと、「前回と同じくらい怖かったけど、前回できたから今回もできると思った」と言いました。
「前回できたから」という言葉に、私は大切なものを感じました。「成功した体験」が、次の行動を作る。一度できた、だからまたできる。その繰り返しが「できることの範囲」を少しずつ広げていきます。Jさんにとってのコンビニは、「一人でできた」という積み重ねの場所になっていきました。
その後、Jさんは月に数回、近所のコンビニや公園まで一人で出かけられるようになりました。「今日は公園で30分座ってた」「猫がいた」という話を、訪問のたびにしてくれるようになりました。外の世界が、少しずつJさんの中に戻ってきていました。
10年という時間について
「10年間、外に出られなかった」という事実を、どう受け取るかは人によって違います。「もったいない時間だった」と感じる人もいるかもしれない。でも私は、Jさんがその10年間を生き延びたことを、すごいと思っています。
「外に出られない」ということは、単に「行動できない」ではありません。外に出るたびに「見られる」「何かが起きる」という恐怖と戦い続けなければいけない状態で、10年間家の中で生きてきた。それは決して「何もしていなかった」のではなく、「症状と戦い続けていた」時間です。
Jさんが「また行ける」と思えるようになった日、それは10年間の積み重ねの上にありました。その積み重ねを知っているから、私はチョコレートを持って帰ってきたJさんの顔を忘れません。
「一緒にいる」だけでよかった帰り道
Jさんとのコンビニ帰りの道で、私は特に何も言いませんでした。「よかったですね」とか「すごいですね」とか、言いたかった気持ちはあります。でも何か言葉にしてしまうと、「出来事」が「評価」になってしまう気がして。Jさんがチョコレートの袋を持って歩いていた、その3分間をただ一緒に歩きました。
Jさんが「また行ける気がする」と言ったのは、家のドアを開けた瞬間でした。「そうですね」と答えながら、私は少し胸が熱くなりました。「また行ける気がする」という言葉が出てくるまで、1年半かかった。その1年半の毎週の訪問が、この一言につながっていたと思うと、「来続けてよかった」と感じました。
「怖い」と「行きたい」が同時にある
Jさんが「外に出るのが怖い」と言いながら「外に出たい」とも言っていたことは、矛盾ではありません。「怖いけど行きたい」「行きたいけど怖い」という両方の気持ちが同時にある状態は、精神疾患のある方に限らず、人間にはよくあることです。
「怖いなら行かなくていい」ではなく、「怖いけど一緒に行く」という関わり方が、回復につながることがあります。「一人では怖い」でも「誰かがいれば行ける」という体験が、「一人でも行けた」へとつながっていく。その段階を踏まずに「一人で頑張れ」と言っても、うまくいかない。Jさんとの外出は、その「段階を踏む」ことでした。
精神科訪問看護の「同行」は、「代わりにやってあげること」ではなく、「できるようになるための過程に一緒にいること」です。一緒にコンビニに行くことで、次は一人で行ける。それが自立支援の本質だと思っています。
「また外に出たい」と言い続けること
Jさんは今も、外出の話をよくしてくれます。「今日は少し遠くまで歩いた」「スーパーにも行ってみた」「会計が並んでいたけど待てた」——一つひとつが小さな「できた」の積み重ねです。
「10年ぶりに外に出た」というタイトルを書きながら、Jさんが歩き出した日を思い出します。下を向いて3分歩いて、チョコレートを買って、「また行ける気がする」と言って。その場面が、私がこの仕事を続けている理由のひとつです。
Jさんと関わり続けることで、「時間をかけることの大切さ」を学びました。1週間では変わらない。1ヶ月でも変わらない。でも1年、2年と関わり続けると、確実に変化が起きる。その変化に立ち会えることが、この仕事の醍醐味だと思っています。
「信じること」が支援の根本にある
Jさんが10年ぶりに外に出られた理由を一言で言うなら、「信じてもらえていた」からかもしれません。「また行けると思う」という言葉が出てくるには、「出られると思っていい」という感覚が必要です。「10年出られなかった」という事実があっても、「また出られる」と思えるのは、「変われる」という信頼が支えになっているからです。
訪問看護師がすることのひとつは、「この人は変われる」と信じ続けることです。本人が自分を信じられないとき、「私はこの人が変われると思っている」という態度で関わることが、本人の中に「変われるかもしれない」という種を植えることがある。Jさんが「また行ける気がする」と言えたのは、その種が育った瞬間だったと思っています。
「成功体験の積み重ね」という回復
Jさんとの経験から学んだのは、「小さな成功体験を積み重ねること」の力です。コンビニに行けた、一人で行けた、スーパーに行けた、公園で30分座れた——一つひとつは小さいですが、その積み重ねが「自分はできる」という自己効力感を育てます。
「一気にできるようにする」のではなく、「小さくできることを増やす」。その過程を一緒に経験することが、訪問看護師の仕事です。Jさんが「猫がいた」と教えてくれるとき、「公園まで行けた」という体験が自然に話題になっている。「できたこと」が「話せること」になっている。そのことが、Jさんの生活を少しずつ豊かにしています。
10年ぶりに外に出た日から始まって、今のJさんがある。その積み重ねを一緒に歩んできたことを、誇りに思っています。
外出が「日常」になるまで
Jさんが週に1〜2回、近所を歩けるようになったのは、最初の外出から半年ほど経ったころでした。「特別な出来事」だったコンビニ外出が、「日常の一部」になっていった。それは、Jさんにとって大きな変化です。
「日常になる」ということは、「気構えが要らなくなる」ということです。最初は「外に出るぞ」という準備が必要だった。でも今は「少し散歩してきた」という感覚で言えるようになった。その変化は、外から見るとわかりにくいかもしれません。でも内側から見れば、「生きやすさ」が変わっています。
「10年ぶりに外に出た」というタイトルの記事を、Jさんが読んでくれたらどう思うかな、と考えることがあります。「そんなこともあったな」と笑ってくれるかもしれない。そうなったとき、この記録は「あのころの自分」を確認するものになる。過去が遠くなるほど、回復が進んでいる証拠です。
Jさんが「猫がいた」という話をしてくれるとき、私は「外の世界が戻ってきた」と感じます。10年間見えていなかった外の世界が、少しずつJさんの中に入ってきている。猫を見た、風が気持ちよかった、コンビニのおじさんに挨拶された——そういった小さな外の体験が、生活を豊かにしていく。それがこの仕事の、変わらない醍醐味です。10年のブランクがあっても、人は変われる。Jさんがそれを教えてくれました。
統合失調症の方が「10年ぶりに外に出る」ためには、安心できる環境と、信頼できる人と、ゆっくりとした時間が必要です。Jさんにとって、週2回の訪問看護師が「安心できる存在」になれたのは、「来るたびに同じ顔で来た」からだと思っています。いつも同じ時間に来て、いつも同じ顔で挨拶して、いつも同じように「今週どうでしたか」と聞く。その変わらなさが、「安心できる人」になっていく。変わらないことが、変化を支えることがある。Jさんが教えてくれたことのひとつです。
10年外に出られなかったJさんが「また行ける気がする」と言った日。あの一言が、訪問看護師を続けている理由のひとつです。時間をかけることで見えてくるもの、信じることで生まれてくるもの——Jさんが教えてくれた全てを、次の訪問に持って行きます。
Jさんとの歩みは、これからも続きます。次の「また行けた」を一緒に喜ぶために、今週も玄関を叩きます。時間をかけることが、一番の支援だと信じています。
変わらないことが変化を支える。Jさんが猫の話をしてくれる日が、今週も来ることを楽しみにしています。10年の時間があったからこそ、今の関係がある。それがこの仕事の深さです。
「また行ける気がする」——その言葉がJさんから出てきた日。その瞬間のために、1年半続けてきました。これからもその積み重ねを続けます。
Jさんの「また行ける気がする」がこの仕事の答えです。時間をかけることの価値を、これからも信じ続けます。
Jさんと共に。今週も外の世界へ向かいます。それがこの仕事の醍醐味です。
今週もJさんの話を聞きに行きます。それがこの仕事です。
Jさんの「また行ける」という声が、今日も私を動かしています。
坂本なつ(精神科訪問看護師・12年)