「もう来なくていい!」と怒鳴られたことがあります。
ドアを閉められました。廊下に一人残されて、しばらく立っていました。
怒鳴られた理由
Iさんは、その日調子が悪かった。妄想が強くなっていた時期で、「あなたも自分を監視している側だ」と思ってしまっていた。
私に向けられた怒りは、私への怒りではなく、症状の一部でした。頭ではわかっていても、廊下に立っていたとき、正直しんどかった。
それでも次の週も行った
翌週、また訪問しました。
インターホンを押すと、少し間があってドアが開きました。Iさんは「先週はすみませんでした」と言いました。小さい声で。
謝らなくていい、と思いながら「大丈夫ですよ」と答えました。
怒鳴られても来る。それが「信頼できる人」の証明になることがある。訪問を断られた経験についてはこちらにも書いています。
訪問看護師が傷つくこと
「プロだから傷つかないんでしょ」と思う方もいるかもしれません。
傷つきます。怒鳴られたら怖いし、ドアを閉められたら悲しい。それは正直なことだと思っています。
傷つかないようにするのではなく、傷ついても続けられるようにすること。そのために同僚に話したり、記録を書いたりしています。
AAさんのこと
私を怒鳴ったのは、AAさん(44歳)でした。発症して10年以上になる統合失調症で、睡眠障害も重なっていた。「24時間眠れない状態が2週間続いていた」ことが、あとでわかりました。
「もう来なくていい」と怒鳴られた日は、ちょうど2週間ぶりの訪問でした。前回の訪問から何かが変わっていることは、玄関のドアを開けた瞬間の空気でわかりました。部屋が暗く、カーテンが昼間も閉まっていた。「今日はどうですか」と聞いた瞬間、怒鳴り声になりました。「全部おかしい!あんたらが来るのも全部おかしい!」と。
廊下で5分ほど立っていました。ドアの向こうで物が動く音がして、その後静かになった。事務所に連絡して、状況を伝えて、翌日改めて電話することになりました。
怒鳴られた側の正直な気持ち
「怒鳴られてしんどかったか」と聞かれれば、「はい」と答えます。なぜ怒鳴られたのかは頭ではわかっていても、廊下で一人立っていたときは「自分が何かしてしまったか」という気持ちが出てくる。「嫌われたのかな」「もう来なくていい、は本当のことかな」と考えてしまう。
精神科の訪問看護師には、そういう場面が少なからずあります。「利用者さんの言葉は症状の一部だ」「怒りは自分に向けられたものではない」と理解することと、そのときの感情は別物です。頭でわかっていても、しんどい。その感情を無視すると、じわじわと疲弊していきます。
私が意識するようになったのは、「あの訪問の後、しんどかった」とスタッフ同士で話せる場を大切にすることです。「感情を持つことは仕事に支障が出る」ではなく、「感情を持ちながら関わり続けるために、吐き出す場が必要」という考え方です。職場のミーティングで「今週大変だったこと」を話せる文化が、スタッフを守ります。
翌日の電話と、その後
翌日の電話で、AAさんは「昨日はすみませんでした」と言いました。声のトーンが前日とまったく違った。「眠れなくて、自分でもおかしくなっていたとわかっていた」と話してくれました。「来なくていいって言ったけど、来てほしいです」と。
「怒鳴られた翌日に来ていいか」という不安は正直ありました。でも「来てほしい」という言葉があったから行けた。「怒鳴った=拒否」ではなく、「あのときの状態でそうなった」という理解があったから、関係が続きました。
訪問したとき、AAさんは申し訳なさそうにしていました。「謝ってくれたので大丈夫ですよ。それより眠れていますか」と話を進めると、「昨晩少し眠れた。薬を主治医に変えてもらったから」と言いました。眠れるようになってから、状態が急速に安定していきました。「眠れないこと」がどれだけ精神状態に影響するか、改めて実感した経験でした。
「次の週も行く」ことの意味
「怒鳴られても次の週も行く」——それは「我慢すること」ではないと思っています。「この人の状態が変化しているとき、私には来る理由がある」という判断です。「来なくていい」と言われた人が「来てほしい」と言える。その変化を見られるのは、「次の週も行く」人間だけです。
AAさんとの関係は、あの怒鳴られた日以来、むしろ深くなったと感じています。「あのとき来てくれた」「怒鳴ったのに次も来てくれた」という事実が、「この人は来なくならない」という安心に変わった。精神疾患の方の中には、「怒鳴ることで相手を試している」部分がある方もいます。「怒鳴っても来てくれた」という体験が、信頼の基盤になることがあります。
「もう来なくていい」と言われた廊下でのあの5分間。あの時間があったから、今のAAさんとの関係があると思っています。しんどい場面が、後から意味を持つことがある。それが、精神科訪問看護の仕事の、難しさであり、深さだと思っています。
「感情を持つことは仕事の支障ではない」
精神科の仕事をしていると、「感情を持つな」「感情的になるな」という空気が働くことがあります。「プロなんだから怒鳴られても平気でいるべき」「感情的になるのは未熟の証」という考え方が、暗黙のうちに職場に広がっていることがある。
でも私は違うと思っています。感情を持つことは、この仕事をする上での弱点ではありません。「しんどかった」「怖かった」「嫌だった」という感情があることを認めることで、「なぜそう感じたか」を振り返れる。振り返ることで、次の関わりが変わります。感情を切り捨てて「プロだから平気」を演じ続けると、燃え尽きます。精神科の仕事で燃え尽きてしまうスタッフが多いのは、この「感情を切り捨てること」が一因ではないかと思っています。
AAさんに怒鳴られた翌日、「昨日しんどかったです」と先輩スタッフに話しました。「それはしんどかったね。でもよく帰ってきた」と言ってもらえた。その言葉で、「行ってよかった」という感覚が戻ってきました。「しんどかった」と言える職場があることが、続けられる力になります。
「怒り」の背景を読むこと
精神疾患のある方の「怒り」は、多くの場合、その人の「苦しさ」の表れです。AAさんの怒鳴り声の背後には、2週間眠れない夜が積み重なっていた。眠れない状態は、判断力を下げ、感情の調節を難しくし、被害的な思考を強めます。「あんたも自分を監視している側だ」という言葉は、AAさんの「誰も信用できない」という極限の孤独の表れでした。
「怒り」の背景を読む、というのは「怒鳴られても我慢しろ」ではありません。「なぜ怒っているか」を理解することで、「今の状態で何が必要か」が見えてくる、ということです。AAさんに必要だったのは「眠れる状態を作ること」でした。それが整ったとき、怒鳴り声は消えました。「怒鳴る」という行動を罰するのではなく、「怒鳴らざるを得ない状態を作っている何か」を探すことが、精神科のアプローチです。
「来なくていい」と言われた人が「来てほしい」と言う日
AAさん以外にも、「来なくていい」と言った後に「やっぱり来てほしい」と言ってくれた方がいます。状態が悪いときに「来るな」と言って、少し落ち着いたときに「来てほしかった」と言う。このパターンは、精神科の訪問でしばしば起きます。
「来なくていい」という言葉が「本心」なのかどうかは、その場ではわからないことがあります。状態が悪いときに「来てほしくない」と思う気持ちと、「来てほしい」という気持ちが同時にある場合もある。「今この瞬間の言葉」だけで判断するのではなく、その人のこれまでのパターン、今の状態の深刻さ、安全への懸念——これらを総合的に判断する必要があります。
判断が難しいとき、私は「引いた後にフォローする」を選ぶことが多いです。「今日は帰ります、でも明日電話します」と伝えて引く。完全に切り離さずに、「次のつなぎを作る」。その一言が、「捨てられなかった」という体験になることがあります。
怒鳴られた経験が教えてくれること
AAさんに怒鳴られてから、私の関わり方は少し変わりました。「状態が悪いとき、怒鳴ることで助けを求めている場合がある」という視点が加わったからです。「怒鳴られた」という出来事が、「この人は今ギリギリのところにいる」というサインとして読めるようになった。
「怒鳴られても次の週も行く」——それは勇気ではありません。「この人は今、誰かに来てもらう必要がある」という判断の結果です。その判断を支えるのは、「この人のことをよく知っている」という積み重ねです。怒鳴られた日の前に、「いつもと違う」と気づいていた。その違和感が、「次の週も行く」という選択につながりました。
「怒鳴られた日のこと」を今も覚えているのは、その日があったから今の関係があるからです。つらい場面が、後から「あのときがあったから」になることがある。それを経験してきたから、「しんどい日があっても続けられる」という感覚が私の中にある気がしています。
「次の週も行く」という選択の根拠
「次の週も行く」という選択は、感情ではなく判断から来ています。「怒鳴られたから怖い」という感情と、「でもAAさんの状態は心配だ」という判断が同時にある。その判断を支えるのは、「AAさんのことをよく知っている」という積み重ねです。
「怒鳴られた翌週も来た看護師」を、AAさんはよく覚えていると言います。「あのとき来てくれた」という記憶が、今の「この人は来なくならない」という信頼の基盤になっています。信頼は、「良いことをした」ときより、「悪いときにそばにいた」ときに、より深まることがある。
精神科の訪問看護は、「調子がいいときだけ関わる」仕事ではありません。「調子が悪いときにも関わる」ことが、この仕事の核心です。怒鳴られた日、閉じられたドアの向こうで「次の週も来よう」と決めた瞬間——その積み重ねが、「12年続けてきた」という時間になっています。
廊下に一人立っていたあの5分間を、今も覚えています。しんどかったけど、あの時間があったから今がある。それが、この仕事を続けている理由の一つです。
精神科訪問看護師として働く中で、「怒鳴られた日」は私の記憶に残る場面のひとつです。しんどかったから覚えているのではありません。「あの日があったから今がある」と思えるから覚えています。AAさんとの関係は、あの廊下の5分間を経て、今も続いています。「また来てください」と言ってくれるAAさんの声が、「次の週も行く」を選んだ自分への答えだと思っています。怒鳴られた日があって、次の週も行ったから、今日がある。その積み重ねが、精神科訪問看護師の仕事の、変わらない深さです。
AAさんは最近、「眠れない夜が続いたら早めに連絡する」という約束を守ってくれています。「2週間黙って眠れなかったあのころとは違う」とAAさん自身が言っています。怒鳴られた日から2年、AAさんとの関係は確実に変わりました。「しんどいとき、あなたに言っていいと思える」という言葉が、今の関係の証だと思っています。あの廊下の5分間は、今のAAさんとの関係への扉でした。
怒鳴られた日があったから、今のAAさんとの関係がある。しんどかった5分間が、長い信頼の始まりになった。精神科訪問看護は、「良い日だけ続く関係」ではありません。悪い日も、しんどい日も、怒鳴られた日も含めて、「続ける」ことが仕事です。それが、この仕事の厳しさであり、醍醐味だと思い続けています。
怒鳴られた日から学んだこと——それは「続けることの価値」です。しんどい日を越えた先に、深い関係がある。その関係が、精神科訪問看護の仕事の、一番の醍醐味です。
怒鳴られた日があって、次の週も行って、今がある。その積み重ねが、この仕事の全てです。廊下の5分間は、今も私の中に生きています。
しんどい日も、怒鳴られた日も、続けてきたから今がある。AAさんの「また来てください」が、私の支えです。
次の週も行く——その選択が、関係を作ります。それがこの仕事の核心です。
次の週も行く。それが答えです。今日も。
今日も。次の週も行きます。
坂本なつ(精神科訪問看護師・12年)